親族の危機と切ない現状
先日、祖母の姉が危篤だと連絡がありました。小さい頃から沢山可愛がってもらって、大人になって会う機会は以前より減ってしまいましたが大好きな親族の一人なのです。すぐに段取りをつけて会いに行きました。久しぶりに見る大叔母はすっかり痩せて、以前のような、はつらつとした雰囲気はなくなっていましたが、私が来たことに気づくと笑顔で迎えてくれました。今は少し病状的には落ち着いているとのことですが、来週より始まる治療は持病を多く持つ大叔母にとってはとても厳しい結果に繋がる可能性があるとのことでした。それでも今目の前にいる大叔母が笑顔でいてくれることに心から感謝しました。
積もる話をしながら談笑していた時、大叔母は唐突に私に言いました。「あなたの子供がみてみたい」と。私を大切に思ってくれている家族なら当たり前に思う感情でしょう。でも今までこんなにも直球に伝えられたことはなかったので動揺してしまいました。「あ、うん。頑張ってはいるよ」と答える反面、自分がもしかしたら不妊の可能性があることはどうしても言葉になりません。「私の命がなくなる前に赤ちゃん、抱っこさせてね」
きっと大叔母は自分の命の灯が長くない事はなんとなく気づいているのでしょう。表情や雰囲気でなんとなくそう思いました。その中で私に自分の願いを授けてくれたのだと。大好きな大叔母のためなら何でもしてあげたい。けどね、その願いは私たち夫婦が祈ってきた願いでもあるのです。幾度となくリセットを繰り返しては共に落ち込んできた私たちの夢なのです。大叔母の願いを叶えてあげたい。そして私たちの願いを叶えたい。「授かりものだから」と笑顔でかわしつつ、微妙な反応をしてごめんなさいと心で謝るのです。私の妊娠出産は私たちだけの喜びではない。それを身に染みて感じるとともに、どうにもできない自然の摂理にただ身を委ねるしかないのです。私に託してくれた願いを、叶えてあげられると言えなくて、できなくてごめんなさい。「私も頑張るから、おばさんも治療頑張ってね」と言い、その場は別れました。
妊活をしていることは夫以外の家族へは伝えずにひっそりやっていたので、私と大叔母の会話を聞いていた両親にも変な期待を持たせてしまったかもしれません。家族から愛されているからこそ、私たちの子供を待ち望んでくれる。そう、頭ではわかっていてもやはりできないことを突きつけられているようで、不妊かもしれない事実を再認識するようで、自責の念に苛まれるのです。誰も悪くない、だからこそ気持ちの持っていきようがなくただただ自分を責めるしかできないのです。
それでも妊活を頑張る他、私にできることはないのです。毎月、今月こそはと期待しながら生命の奇跡を信じる他ないのです。毎日の食事や生活習慣を整え、できることを最大限行いながら日々を大切に過ごすことでまだ見ぬ我が子へ会えるカウントダウンは確実に動いていると信じています。
おばさん私頑張るから、おばさんも治療頑張って長生きしてね。
今回も最後まで読んでいただきありがとうございました。